昭和51年09月26日 特別奉修委員



 これは私のふの事ですけど私の祈りの圏内と言うですかね、まぁいうならばここに御神縁を頂いて、おかげを受けておられる方達の上の事をまぁ願います、まぁいいうなら私の祈りの圏内であります。しかし祈りのあのう圏内を越えた事を、今朝ある意味でお願いさして貰いよりましたら「力を受けよ」ということをでしたね、ですからあのういかに人の事を願う公の事を願うと言うてもね、力なしには願ってもまぁ無駄だと。
 ただ問題はその願わずにはおれない、いうなら神心というかね、というこれはあのう有り難い事ですけどが。だから願うてはならんということではないけれども、それが本当におかげを頂くためにはやはり力を受ける。だから合楽に御神縁を頂いておられる方々の上には、神様が私の圏内ですから、またおかげを圏内他の事また大きく願わしてもらおうとするとね、やはり力を受けるということになる。ならというて私は典楽のことを願わんかというと願う。
 それこそ世界に和賀心を広めてゆきたい、またそういう御用に使こうて頂きたいと言った様な大きな願を持っていますけれどもね。それは願うてはならん。それは切実にあのう世の中がそういう、言うなら光が広げていく事が出来たらどんなに有り難い事だろうかと思うにつけても、やはり願わずにはおられない、けれどもそれがなら確実におかげになっていくとは、その自分の心が有り難いのであってね、だからおかげを頂くためにはあのう楽と言うと力を受けるという事です。
 ですからあのうそれけんそんならもうお願いするまいというたら信心はお終いです。もう自分のような力の無かもんが人の事までお願いしたっちゃ出来んちゅ言うたらもうそれでお終い、けいどもこのへんところなんとも言えんとこですね、力を受けそんならもう私お願いしますねと言うたらもう信心なない、それでも願わずにはおれない、そこに力を受けてゆく又道が開けてゆくと思うんです。
   どうぞ。